「育児の社会化」という言葉をご存知ですか。
スウェーデンやフランス等、高度に発達した福祉国家では、市民の意識として日常的に使われています。子供を持つことに伴う色々な負担を、両親や家族だけに担わせるのではなく「子供は社会の宝である」という観点から、社会全体がその一部を分担しようという考え方を指し、その実現には長い歴史を要し、また試行錯誤が繰り返されてきました。
スウェーデンやフランス等、高度に発達した福祉国家では、市民の意識として日常的に使われています。子供を持つことに伴う色々な負担を、両親や家族だけに担わせるのではなく「子供は社会の宝である」という観点から、社会全体がその一部を分担しようという考え方を指し、その実現には長い歴史を要し、また試行錯誤が繰り返されてきました。
例えばスウェーデン-1932年、この国では、革新政党「社会民主党」の党首ハンソンが首相となります。この年は人類の長い歴史の中でも、特筆すべき暗い年でした。1929年10月の「暗黒の木曜日」、ニューヨークでの株価の大暴落が発生し、みせかけの繁栄に浮かれていた世界経済に冷水をあびせ、長くつらい大不況が世界を襲います。1932年は生産の大減少と失業の異常な上昇が見られ、経済はどん底に沈んでいました。そんな時。ドイツではヒトラーのひきいるナチスが選挙で第一党となり、政権掌握の第一歩をしるしていました。歴史は第二次世界大戦に向かって巨大な歯車が回転し始めていたのです。
こんな中で内閣を組織したハンソン首相は1946年まで14年間連続してスウェーデンを指導し、この過酷な大戦の間、ついに中立を守り通します。それだけではありません。内政面では社民党の基本的な立脚点、「弱い人、貧しい人にも人間らしい生活を」という立場を忘れることはありませんでした。そのため、厳しい政治、財政状況の中で、後のスウェーデン型福祉国家の基礎となる枠組みを着実に作り出していったのです。その中でも「女性の機会均等、男女平等、家庭の束縛からの解放」を目指す「家族政策」の枠組みの確立努力は、注目に値します。そのための重要な施策として、育児にかかる家庭の負担の一部を、社会全体で負担しよう、また子どもを持っても、夫婦ともに社会に出て働き活動できる環境を整備しよう-そうです、「育児の社会化」の枠組み作りに着手したのです。
当時のスウェーデンは、国力や経済力ではまだまだ貧しい欧州辺境の農業主体の国家でしたが、ハンソンの努力は、対戦終結後の経済成長の中で見事に実を結んでゆきます。福祉国家へ向けての着実な第一歩を、大宰相ハンソンは政治生命を賭けて作り出したのです。
(第2回へつづく)
こんな中で内閣を組織したハンソン首相は1946年まで14年間連続してスウェーデンを指導し、この過酷な大戦の間、ついに中立を守り通します。それだけではありません。内政面では社民党の基本的な立脚点、「弱い人、貧しい人にも人間らしい生活を」という立場を忘れることはありませんでした。そのため、厳しい政治、財政状況の中で、後のスウェーデン型福祉国家の基礎となる枠組みを着実に作り出していったのです。その中でも「女性の機会均等、男女平等、家庭の束縛からの解放」を目指す「家族政策」の枠組みの確立努力は、注目に値します。そのための重要な施策として、育児にかかる家庭の負担の一部を、社会全体で負担しよう、また子どもを持っても、夫婦ともに社会に出て働き活動できる環境を整備しよう-そうです、「育児の社会化」の枠組み作りに着手したのです。
当時のスウェーデンは、国力や経済力ではまだまだ貧しい欧州辺境の農業主体の国家でしたが、ハンソンの努力は、対戦終結後の経済成長の中で見事に実を結んでゆきます。福祉国家へ向けての着実な第一歩を、大宰相ハンソンは政治生命を賭けて作り出したのです。
(第2回へつづく)
