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1889年、スウェーデン社会民主労働者党が結成されます。当時のスウェーデンは、とても貧しい欧州北辺の農業中心の国であり、社会情勢もご多聞にもれず極めて不安定であり、激しい労働争議が頻発していました。

戦後の高度経済成長に恵まれたスウェーデンは、1960年には、世界のトップレベルに属する高所得国家に変身していました。この時期をとらえて、時の社民党首エランデル首相は、経済的弱者の味方という明確なメッセージを持って福祉国家建設のビジョンを示し、漸進的な増税路線に踏み込みました。

前回、高福祉と国家へのビジョン実現に向けたエランデル社民党の政治的努力は、当然に国民の高負担を伴うものであっただけに、国民サイドからの抵抗もありえたはずであり、この難問を克服するために、ビジョン実現への努力を1960年から80年代前半まで、20年間以上もかけて続け、これにより、国民の受益感に訴えつつ極めて漸進的に着実に政策展開を行なったと述べました。

 

高福祉高負担国家スウェーデンでは、国民の高い負担の下で、充実した家族政策をはじめとする高レベルの福祉水準を実現し、国民は豊かさを実感できる環境を楽しむとともに、経済全体としても、強い国際競争力を維持し、また、出生率の反転上昇等により、経済の長期的活力を確保している状況を説明してきました。

これまで五回にわたって、「育児の社会化」とよばれる政策の下で遂行されてきた福祉国家スウェーデンの施策を概観してきました。

 

高度に発達した福祉国家スウェーデンが、長期にわたる政策努力と試行錯誤の末に確立してきた家族政策の体系は、大きく分類すると次の2本柱から成り立っています。
第2次世界大戦中のスウェーデンは、社会民主党の党首ハンソンのひきいる内閣の下で、ついに中立を守り通し、しかも将来の福祉国家形成の枠組みとなる基本的な福祉システムの構築の第一歩をしるしました。過酷な大戦も巨大なつめあとを欧州に残して終結をみた1946年、大宰相ハンソンの急死を経て内閣を組閣したエランデル首相は、この貴重な枠組みの肉付けにとりかかります。

「育児の社会化」という言葉をご存知ですか。

スウェーデンやフランス等、高度に発達した福祉国家では、市民の意識として日常的に使われています。子供を持つことに伴う色々な負担を、両親や家族だけに担わせるのではなく「子供は社会の宝である」という観点から、社会全体がその一部を分担しようという考え方を指し、その実現には長い歴史を要し、また試行錯誤が繰り返されてきました。

投稿者プロフィール

藤井 威(ふじい たけし)

昭和37年
 東京大学法学部卒業
平成4年
 大蔵省理財局長
同9年
 在スウェーデン特命全権大使
同13年
 地域振興整備公団総裁
同16年
 (株)みずほコーポレート銀行
 顧問(現職)
 (株)ポピンズコーポレーション
 顧問(現職)
 

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